会の声明

 

日本学術会議の任命拒否問題について、わたしたちはこう考えます


                                
 日本学術会議が次期会員候補として推薦した105名のうち、6名の任命が政府から拒否された件について、わたしたちは当初、重大な問題ではあるけれども、学術団体のことでもあり、文学団体としての態度表明はややそぐわないかなとも考えました。しかし、その後の菅首相の発言や政府の対応を見るにつけ、これは単に学問分野のことではなくて、表現の自由、日本の民主主義の行方に関わる由々しき事態だと考えるに至りました。
 菅首相は会見の中で、学術会議の会員は特別職の国家公務員としての性格を持ち、税金から出費しているのだから、その構成にも責任を持つべきといった趣旨の発言をしています。まさに「金を出すのだから、口を出すのも当然」という論理です。わたしたちは、この間の報道の中で、日本学術会議が戦前においてあらゆる分野の学問研究が「国家」の支配を受けて衰退せざるを得なかったことへの反省を土台として、1949年に政府から独立した性格を持つ機関として設立されたことを知りました。文化や教育、学術研究に対しては、それらが豊かに発展できるような条件作り、環境作りを進めていくことこそが政府の役割であり、その内容に干渉したり、圧迫したりすることは許されません。なぜなら、文化や教育、学術研究は決して政権の道具ではなく、国民全体に開かれたものだからです。
 わたしたちの会はまもなく創立75周年を迎えますが、戦前、戦中の時期に、多くの童話作家、詩人たちが、「国家」の要請の下で戦意高揚的な作品を子どもたちに提供していったことへの深い反省のもとに、1946年に創立されました。それだけに、今回の事態に対して深い憂慮を覚えます。もちろん文化も学術研究も「聖域」ではなく、そのありかたについて批判があるならば堂々と問題提起をし、論議をすればいいはずです。しかし、時の政権が、今回のような姑息で強権的なやり方で介入することは、結局は学術研究そのものを閉塞化させ、衰退させることにつながりかねません。 
わたしたちは、政府が6名の任命拒否を撤回すると共に、学術会議設立の原点に立ち返って、学術研究の振興により力を注ぐことを強く望むものです。
 

                               2020年10月15日
                       一般社団法人 日本児童文学者協会・理事会
                                (理事長 藤田のぼる)

 


       物言わぬ国民を作ろうとする「共謀罪」に反対します

 
 過去3回にわたって廃案となった共謀罪法案が、「テロ等準備罪」という衣をかぶって、政府与党によって無理矢理に成立されようとしています。わたしたちは、子どもの本の関係7団体で組織する「フォーラム・子どもたちの未来のために」の一員として、3月にこの法案に対する反対の態度を明らかにしましたが、今法案成立が強行されようという事態を前にして、総会の名で、改めて反対の意思を表明するものです。なぜなら、政府の説明とは裏腹に、この法律の目指すところが、国民の自由な意思表示や活動を抑え込み、物言わぬ国民を作ろうとするものだからです。
 国会の論議の中での政府答弁は二転三転し、なぜ今この法律が必要なのか、まったく説得力をもたないものでした。それは「テロの防止」という看板と、国民監視のシステムを作るという法案の内実が、大きくかけ離れているからです。また政府は、テロ防止のための国際協調という点を強調していましたが、国連のプライバシー権利に対する特別報告者から、安倍首相に対して5月18日付でプライバシー権や表現の自由を制約する恐れがあるとの書簡が送付されるなど、むしろ国際的にも強い懸念が示されています。
犯罪の実行ではなく、「準備」の段階で捜査、検挙できるというこの法律が成立することは、必然的に国民の「考え」や「思い」が問題にされ、わたしたち一人ひとりの心の中に、権力が踏み込んでくることを意味します。折しも、小学校における来年度からの道徳教科化に向けて、教科書の検定が行われました。道徳が教科になることで、子どもたちは自らの考え方や感じ方を、文科省が定めた「徳目」に沿って「評価」されるという事態が始まります。こうした社会で、子どもたちが創造的なことばや思考を育んでいけるでしょうか。民主主義の根幹ともいえる、人々が自由に集い、論議することを萎縮しかねない環境の中で、主権者として成長していくことができるでしょうか。
 わたしたちの会は、敗戦後間もない1946年、戦時下において児童文学の書き手たちが戦意高揚の一翼を担ったことへの深刻な反省のもとに、結成されました。物言わぬ国民、国家の意向に沿った教育、その先にあるのは、憲法が改正され、再び戦争ができる国となった日本です。そうした国では、国民の様々な権利が根こそぎ奪われてしまうことは歴史が教えている通りです。そのような重大な岐路に立っている今、わたしたちは共謀罪に反対し、書き手として、また一市民として、自由に発信していける社会の実現のために、これからも発言し続けることを、ここに表明するものです。
 
2017年5月27日
一般社団法人 日本児童文学者協会・第54回定時総会
 
 

【緊急声明】

「安保法案」の強行採決に強く抗議します!

2015年7月15日
 
私たち、子どもの本の作家、画家、研究者、翻訳者、編集者などで作る「フォーラム・子どもたちの未来のために」は、言論・表現の自由と戦争のない平和な世界を何より大切に考える立場から安倍内閣が推し進める「安保法案」の廃案を求めてきました。
 
しかしながら、大多数の法律の専門家による違憲の指摘や多くの国民の反対の声にも関わらず、安倍内閣は数の力に頼って、7月15日、同法案を衆議院特別委員会で強行採決するという暴挙にでました。
憲法違反の疑いの極めて高い法案を力によって押し通すということは、まさしく「民主主義」と「立憲主義」の破壊であり、「平和で民主的な社会」「自由闊達に意見の言える社会」を子どもたちに残していきたいという私たちの立場とはまったく相容れないものです。
 
私たちは今回の安倍内閣の暴挙に強く抗議しあくまでも同法案の撤回を求めます。
 
今後は参議院が良識をもって同法案を否決すること、政府与党がいわゆる60日ルールの適用をしないことを強く求めるとともに、法案の撤廃まで私たちも抗議の行動を続けることをここに表明します。
 
「フォーラム・子どもたちの未来のために」実行委員会
絵本学会、絵本作家・画家の会、童話著作者の会、
日本国際児童図書評議会、日本児童図書出版協会、
日本児童文学者協会、日本ペンクラブ子どもの本委員会
 

 

【総会決議】

    子どもたちを「戦場」に向かわせるな

~「集団的自衛権」の名のもとに憲法の解釈を変更することは許されない~

 
安倍内閣は、日本が「集団的自衛権」を行使できるよう、憲法の解釈を変更しようとしています。そもそも、安倍首相の私的諮問機関に過ぎない「安保法制懇」なる組織の「報告書」を受けた形で、閣議決定で「解釈」が変更できるというのなら、それはもはや憲法ではなくなります。
しかも、焦点となっているのは、日本国憲法の根幹をなしている第9条です。これまで、武力行使は「自国への攻撃を排除するため」に限定されるとしてきた歴代内閣の憲法解釈を改め、他国への攻撃に対しても武力を行使できるというのです。
歴史を振り返れば、近代におけるほとんどの戦争は、「自衛」や「自国民の保護」を口実として始められました。安倍首相は、5月15日の会見で、母と子がアメリカの艦船に保護されているという想定のイラストをパネルで示し、これを守るために解釈変更が必要だと述べました。しかし、もっとも危険なのは戦争の当事国になることであり、いったん戦争に参加してしまえば、「最低限度」「必要最小限」などの言葉はまったく意味を失います。そして、戦争の当事国になるということは、まきこまれて生命の危険にさらされるということだけではなく、戦闘に参加するということです。子どもを守るどころか、わたしたちは、日本の若者たちを、子どもたちを、戦場に向かわせるかどうかの岐路にさしかかっているのです。
日本児童文学者協会は敗戦後まもない1946年に結成されましたが、そこには、子どもたちが再び戦火にさらされることのないよう、そしてわたしたち子どもの本の書き手が、二度と子どもたちを戦場に追いやるような作品を書かないように、という強い願いが込められていました。この想いを引き継ごうとしているわたしたちは、安倍内閣による戦争への道ならしを、決して容認することはできません。わたしたちはいま声を大きくして、会内外の人々と共に、アジアや世界の人々と共に、平和への確かな道筋を求めていくことを、総会の名において表明するものです。
 
2014年5月31日
日本児童文学者協会・2014年度定時総会
 
 

子どもの未来を闇でおおう「特定秘密保護法案」の廃案を求めます

 
「特定秘密の保護に関する法律案」(特定秘密保護法案)が、11月26日に衆議院で強行採決されました。多くの言論人をはじめ、国民の多数からさまざまな疑問や反対の声があがる中、なぜここまで拙速にこの法律が制定されなければならないのでしょうか。
そもそもこの法律は、国家が知られたくない情報を「特定秘密」として隠し、組織の内部から不正を告発する人、それを支持し明るみに出そうとする市民の活動を、厳罰の下に封じこめようとするものです。この法律によって、ジャーナリストや文学者の取材も、また歴史の検証に不可欠な文献・資料の活用も、処罰の対象となりかねません。今後本格的に検証していかなければならない原発情報の多くも、この法律を盾に隠蔽される恐れがあります。これは、明らかに主権者である国民の「知る権利」への侵害であり、日本国憲法の基本理念である国民主権、基本的人権の尊重、平和主義に反する大きな問題を抱えています。 
戦前を知る人は、関東大震災から二年後の治安維持法の制定と、その後に日本が辿った戦争への道が現在と酷似し、ふたたびそれが再現されることを恐れています。そうした社会の中では、子どもたちが主権者として生き生きと成長していくことは叶いません。
 未来に生きる子どもたちに向けて創作活動を続けている私たちは、子どもたちの未来を闇でおおう「特定秘密保護法」の制定に強く反対し、廃案を求めます。
 
2013年12月2日
一般社団法人 日本児童文学者協会(理事長・丘 修三)
 
 

子どもたちに原発ゼロの未来を!

 
 あの3月11日から、1年2ヵ月余りが経過しました。改めて被災された方々にお見舞いを申し上げ、今後もさまざまな形で支援を続けていくことを誓うものです。
 さて、今回の震災は、これまでの地震や津波などの自然災害と決定的に異なる点があります。それはいうまでもなく、福島第一原子力発電所が壊滅的な被害を受け、大規模な放射能汚染をひきおこしたことです。このため、多くの方たちが先の見えない避難生活を強いられ、子どもだけが県外に預けられてといったケースも少なくありません。県内に残った子どもたちも、自由に外に出ることができず、園庭や校庭での遊び時間も制限されるといった日々を過ごしています。同様な状況は、東北や関東近県にも及んでおり、放射能の影響が少ない地域への「疎開」をする人たちも少なくありません。
 放射能汚染の恐ろしいところは、その影響がきわめて長期で広範囲に及ぶこと、そして大気、水、土壌と環境のすべてが汚染され、放射能が食物としても体内に入りこんでくるという点です。さらに重大なのは、人体への影響は年齢が低いほど大きく、誰よりも子どもたちの生命が脅かされるという事実です。原発事故は100%人災であり、つまりわたしたち大人の過失によって子どもたちの未来が危機にさらされているのです。
 わたしたちは、今回の原発事故によって、いかに原発が制御不能のものであり、一度稼動させてしまえば引き返しのできないものなのだということを、目の当たりにしました。安全対策の不充分さや対応のまずさといった点はあったとしても、所詮人間の「想定」には限界があり、この地震列島の上に54基もの原子力発電所を作ってきたという現実に、わたしたちは震撼させられたはずなのです。
 しかし驚くべきことに、政府や電力会社は、今回の事故がまだなんの「収束」も迎えないうちに、原子力発電の必要性を強調し、大飯原発の再稼動に踏み込もうとしています。ドイツやスイスなどの諸外国が、日本の事故から学んで原発以外のエネルギー政策に舵を切ろうとしているのと、なんという違いでしょう。普通に考えれば、それが最良にしてもっとも現実的な方策であるはずなのに、日本の政府や財界は、国民の安全や健康よりも、目先の経済効率を優先していると考えざるを得ません。
 わたしたち日本児童文学者協会は、終戦の翌年1946年に結成されました。戦時下において、子どもたちを戦場に送り込むためのプロパガンダに手を染めたことへの痛烈な反省が、その結成のモチーフとなりました。原発事故の責任は、いうまでもなく原発を推進してきた歴代政府や電力会社にありますが、「原子力の平和利用」などの名の下にそれを見過ごしてきたわたしたちにもその責任の一端があるといわなければなりません。だからこそ、わたしたちはここで「原発NO」の声をあげることが求められているのではないでしょうか。再び過ちを繰り返すことは許されません。
 そしてもうひとつ留意しなければならないのは、この問題に関しては、子どもたちが一番の当事者であり、さまざまな情報や考え方は、子どもたちに対してこそきちんと公開、提起されなければならないという点です。しかし、昨年10月に文部科学省から発行された放射線副読本では、「普通の生活を送っていても、がんは色々な原因で起こると考えられていて、低い放射線量を受けた場合に放射線が原因でがんになる人が増えるかどうかは明確ではありません」(中学生向け副読本)など、「心配しなくていい」「考えなくていい」というメッセージで一貫しています。わたしたち大人に今求められているのは、子どもたちの不安ときちんと向き合いつつ、子どもたちと共に、日本のエネルギー政策のこれからを考えていく姿勢なのではないでしょうか。
 わたしたちは、政府や電力会社が、福島第一原発の事故で被害を受けた方たち、被害を受ける可能性のある人たちのケアを末永く続けていくこと、そして日本のエネルギー政策を転換させることを強く求めると共に、子どもたちと共に原発ゼロの未来を築き上げていくために今、そしてこれからも声をあげていくことを、ここに表明するものです。
 
2012年5月26日
一般社団法人 日本児童文学者協会・第49回定時総会
 
 

大阪府立国際児童文学館の存続を訴える

 
 大阪府立国際児童文学館が、いま消滅の危機にさらされています。橋下新知事の意向を受けたプロジェクトチームの計画によれば、いくつかの府有施設・出資法人が統廃合の対象となっており、この中で国際児童文学館は府立図書館に吸収する方針が打ち出されています。系統的な資料収集や子どもの本に関わる研究機能を中心とした専門館の役割は、一般の公共図書館の使命とは異質なものであり、このままではほぼ四半世紀にわたって積み上げられてきた児童文学館の業績が無に帰してしまうことになりかねません。
 同館は、そもそも児童文学研究者の鳥越信氏が収集してきた、他に類をみない12万点にも及ぶコレクションの寄贈を受けて設立され、その後の資料収集にあたっても、ほとんどの児童書出版社から無償で寄贈を受けるなど、子どもの本や文化に関わる多くの人たちに支えられて運営されてきました。府の財政難を理由に一方的に文学館を廃止することは、こうした経緯や館を支援してきた人たちの思いを無視するものです。
 児童文学館は、設立以来、専門スタッフの努力で、さまざまな研究を積み重ねてきましたが、それらは決して児童文学の専門家や愛好者だけのためのものではありませんでした。館では、一般の人たちや子どもたちからの幅広いリクエストに応えるべく、あるいはそうしたリクエストを大切なモチーフとして、子どもの本や読書活動に関わる情報の整理、発信に努めてきました。そうした積み重ねは、まさしく府民を始めとするみんなの財産であり、それは建物だけでなく、資料だけでもなく、それらと「人」とが一体となった大阪府立国際児童文学館という「場」があってこそ意味を持つものです。
 世界的にみても、同館はミュンヘン国際青少年図書館などと並んで、児童文学の専門館としてかけがえのない存在です。そして「国際児童文学館」の名にふさわしく、子どもの本をめぐる国際交流の分野でも大きな役割を果たしてきました。例えば外国の研究者などを客員研究員として招聘する事業の「第一期生」として、韓国児童文学学会会長の李在徹(イ・ジェチョル)氏が来日、日本の多くの児童文学関係者と交流し、これが契機となって、現在8回を数えるアジア児童文学大会がスタートしました。また、先年中国で初めて設立された浙江師範大学国際児童文学館は、大阪府立国際児童文学館をモデルとしています。子どもの本を媒介とした国際交流というのは、まさに平和のための国際貢献そのものであり、「大阪」の名を高めるものではないでしょうか。
 現在の事態が、大阪府の厳しい財政難を背景にしていることは、わたしたちも承知しています。しかし、児童文学館などへの出費がその財政難の要因だったのでしょうか。文化が経済のツケを真っ先に払わされるという構造を、わたしたちはどこかで断ち切らなければならないのではないでしょうか。ましてこの国の未来を担う子どもたちのための事業が、こうした形で中断され、これまでの蓄積を失ってしまうということは、経済効率という側面から考えても決してプラスとは思えません。
 わたしたちは、児童文学の創作、翻訳、批評・研究などに携わる者として、橋下知事を始めとする大阪府当局の関係者、府議会各議員、そして府民の皆さんが、府立国際児童文学館存続のための方策を見い出されることを切に願い、ここに訴えると共に、その存続に向けて今後ともさまざまな形で支援を続けることを、総会決議としてここに表明するものです。
 
2008年5月24日
(社)日本児童文学者協会・第45回定時総会
 
 

心にたがをはめる法律はいらない ―教育基本法改悪に、反対します―

 
 敗戦後間もない一九四六年三月、日本児童文学者協会は生まれ、以来六十年、「民主主義的な児童文学の創造と普及」を綱領の第一に掲げ活動してきました。わたしたち日本児童文学者協会は、アジア・太平洋戦争への真摯な反省と、二度と同じ轍を踏まぬ、踏ませぬという決意から生まれ、その決意の下歩んできたのです。
「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようと」決意した、「日本国憲法」の「理想の実現」のために制定された「教育基本法」。臣民の心構えとして徳目を列挙した「教育勅語」と真っ向から対立し、「個人の尊厳を重んじ」る「教育基本法」。これを変えることが、憲法を変え、日本を戦争ができる国にしようというもくろみの一段階であることは明らかで、わたしたちは二〇〇三年、二〇〇五年と二度にわたって教育基本法改悪に反対する声明を出してきました。
 そしてこの春、自民党・公明党の「与党教育基本法改正に関する協議会」がまとめた最終報告は、閣議決定を経て四月二八日、ついに国会に提出されました。それは、現行教育基本法の文言を残しながらも、巧みに骨抜きにするばかりか、教育の条件整備法として国を縛るものから、子ども・教師・親を縛る法へと重心を移しています。
 たとえば、現行教育基本法前文の「真理と平和を希求する人間の育成」が「真理と正義を希求し」と、「平和」が「正義」に変えられています。「正義」の名の下に、アメリカ・ブッシュ政権が起こしたアフガン攻撃、イラク攻撃のあとで、このたった一言の変更がどれほど大きな転換かということを、わたしたちは知っています。また、第二条は「教育の方針」ではなく「教育の目標」とされ、そのなかでは、「伝統と文化」「他国を尊重」などといったあたりさわりのない表現を装って、結局のところ「国」への「愛」を強要しています。また、「教員は全体の奉仕者」という文言は削除され、「男女共学」の条文も完全に消されています。
 現憲法、教育基本法下にある現在でさえ、東京都教育委員会を急先鋒に「日の丸」「君が代」の学校現場への強制は激しさを増しています。「与党教育基本法改正に関する協議会」最終報告がまとまったのと同じ四月一三日には、東京都教育庁が、職員会議で意思決定に際して教職員による「挙手」や「採決」を行ってはならないとする、常軌を逸した通知を出しました。このような状況の下、時の権力が「改正教育基本法」のお墨付きを得たら、いったいどのような学校、そして、社会になるでしょう。
 わたしたちは、日本国憲法と、その理想実現のための現教育基本法を強く支持します。さまざまな可能性を秘めた子どもたちの心に国家が法でたがをはめ、国家の名の下に殺し殺される道を開くような教育基本法の改悪には、断固反対であることを、ここに改めて表明します。
 
2006年5月21日
(社)日本児童文学者協会 第43回定時総会
 
 

子どもたちの未来が戦争にぬりつぶされないように! ―憲法改悪につながる教育基本法の改悪に、反対します―

 
 現在、憲法と教育基本法は大きな危機に瀕しています。2003年3月、中央教育審議会から教育基本法の見直しが必要という答申が出され、改悪に向けて大きな一歩が踏み出されました。わたしたちは、それに対して同年5月の総会声明「だれのための「教育改革」か―教育基本法の改正に反対します―」で、教育の場の主人公であるべき子どもたちではなく、むしろ行政権力の要請に沿った「教育改革」の動きに反対の意思を表明しました。その後、教育基本法の「改正案」そのものはまだ出されていませんが、今年の通常国会に上程されるという報道もあり、またこの2年の間に、教育基本法改悪の内容や意図が、いかに危険なものであるかが、ますます明白なものとなっています。
 その第一は、この教育基本法改悪の動きが、第9条の書き換えを含む憲法改悪と一体のものになっていることです。昨年、法案作りの推進役となっている「与党・教育基本法改正に関する協議会」から出された中間報告では、中教審答申が打ち出していた「部分改正」ではなく、前文も含む全面的な改正を目指すとし、現行の教育基本法の根幹をなす「個人の尊厳」や「平和主義」に替わって、「公共の精神を重んじ」「郷土と国を愛する」ことが強調されています。すでにして憲法9条に違反しているといえる自衛隊のイラク派兵が強行され、恒常化していく中で、昨年6月には有事関連七法案が成立しました。そうした状況の中で、子どもたちに「愛国心」をおしつけ、法の強制だけでなく自ら進んで「お国のために」命を投げ出すことのできる人間に作り替えていくことが、新しい教育基本法には期待されています。
 そして、現在そうした教育基本法改悪の意図を先取りするかのような事態が、子どもと教師たちをおそっています。03年10月、東京都教育委員会は卒業式・入学式における「国旗掲揚・国歌斉唱」についての通達を出し、これにより多くの教師たちが処分を受け、さらには生徒自身の不起立のため教師が処分されるという事態となっています。これは政治の教育内容への介入を禁じた教育基本法10条の違反というばかりでなく、憲法19条の「思想・良心の自由」の原則を踏みにじる行為であり、政府や行政が露骨に憲法、教育基本法に違反しているという事態は、異常というほかありません。またアジア・太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んではばからない「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が、都立中高一貫校で採択されるといった動きもあり、教育基本法改悪の先にある日本の公教育の行く末を暗示するものとなっています。また、これらの動きと並行して、法的になんの根拠もない「心のノート」が全国の小中学校に配布され、道徳教科書のような形での使用が押しつけられています。心の悩みや課題に応えるという装いをとりながら、子どもたちの心をひとつの方向に誘導しようとするこの動きは、なによりも子どもたちの豊かな言葉の力を育みたいと願うわたしたちにとって、見過ごすことのできない問題をはらんでいます。
 現在、子どもたちをとりまくさまざまな問題が社会的関心を集めており、確かに日本の教育はより良い方向に「改革」されていかなければなりません。戦後の再出発にあたり、戦前の「教育勅語」に象徴される臣民教育への反省を踏まえ、真の主権者としての子どもたちの成長に未来を託して、現行の教育基本法が作られました。その意義は、現在の状況の中で、むしろますますその輝きを増しています。  児童文学を通して子どもたちの現在と未来に関心を寄せるわたしたちは、教育をとりまくさまざまな動きについて引き続き重大な関心を寄せ、そうした中でわたしたちそれぞれが自らの文学の課題をきたえていく努力を続けていくことを胸に刻みつつ、子どもたちの未来が再び戦争によってぬりつぶされないよう、改めて教育基本法改悪にNO!の意思を表明するものです。
 
2005年5月21日
(社)日本児童文学者協会 第42回定時総会
 
 

だれのための「教育改革」か ―教育基本法の改正に反対します―

 
 政府は現在開会中の国会に、教育基本法改正案の提出を準備していると報道されています。かねてから文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会では、教育基本法の見直しについて検討を続けてきましたが、この3月に「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」と題する答申を出しており、今回の法案提出はこれを受けてのものと思われます。わたしたちは、児童文学の創造と普及を通して子どもたちの豊かな成長を願うものとして、現在進められている「教育改革」の方向性に大きな疑問を感じざるを得ず、このような形での教育基本法の改正に強く反対するものです。
 教育基本法は、憲法の公布に続いて、新しい日本の教育のあり方の基本的方向を示すものとして1947年に施行されました。条文は11条からなる簡潔なものですが、その前文で「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」と謳っています。この前提には、いうまでもなく明治期以来日本の公教育をしばりつけてきた「教育勅語」に対する重大な反省があり、国家に対する忠誠心のために個人の幸福が犠牲にされるのではなく、それぞれの多面的な自己実現こそが実りある社会を実現する道であることを、明確に示しています。そしてこの精神は、戦時下にあって戦争協力の道を歩まされた反省を一つのモチーフに、「民主主義的な児童文学の創造と普及」を掲げて1946年に結成された、わたしたちの団体の出発点とも重なるものでした。
 先の中教審答申では、「二一世紀を切り開く心豊かでたくましい日本人の育成」のために、教育基本法の改正が求められているとされています。ここでなによりも憂慮されるのは、国家戦略のための「期待される人間像」のイメージがまず作り上げられて、教育がそうした目的の道具にされてしまうことです。国や行政が行うべきは、あくまですべての子どもたちの豊かな成長を促すための条件を整備することであり、教育内容に介入して子どもたちを一つの方向に向かわせることは厳に戒められなければなりません。まして、「心豊かでたくましい日本人」という方向づけは、答申の随所にみえる愛国心の強調などと合わせ、さまざまなアイデンティティーを抱えた人々の「共生」こそ求められる現在、到底新しい指針となり得るものではありません。
 この他、今回の教育基本法改正の中身にはいくつもの疑問点がありますが、それ以上に不可解なのは、現在進められようとしている「教育改革」が、手続き上も内容の上でも、それをもっとも必要とする人たちの思いを受けとめ、反映させたものではないという点です。現場の教師たちや子どもたち、そして親たちにとって、今問題なのは本当に教育基本法なのでしょうか。それを改正しなければ教育の充実が果たせないという根拠はどこにあるのでしょうか。事実、今回の事態に対して、日本教育学会など教育学関連をほぼ網羅した25の学会連名で「教育基本法の見直しに対する要望」が出されているように、専門家の立場からみても、今教育基本法の改正をしなければならない切迫した理由はありません。いったい、だれのための、なんのための「教育改革」なのでしょうか。
 戦後の教育行政は、教育委員の公選制度の廃止、教科書検定制度や指導要領による事実上の教育内容の統制、そして近年の日の丸・君が代の強制など、むしろ教育基本法の精神を一歩一歩崩していくような形で進められてきました。今回の教育基本法改正とセットになっている「教育振興基本計画」の策定にしても、これによって教育内容への干渉がさらに制度化されてしまう危険をはらんでいます。子どもたちの豊かな成長のために教育が本来の力を発揮するためには、教育基本法が明示しているように、なによりも教育の場における自由が保証され、教師や子どもたちが自主性や創造性を発揮できる環境が整えられていなければなりません。
 わたしたちは、教育の場の主人公である子どもたちが、現在、未来にわたって、自分に誇りをもち、他者を尊重できる主権者として成長していくために、今こそ教育基本法の精神に立ち返り、日本の教育を再生、充実させていくことを願うものであることを、ここに明らかにするものです。
 
2003年5月17日
(社)日本児童文学者協会 第40回定時総会
 
 

NO WAR(戦争を起こすな) NO DU!(劣化ウラン弾の使用をゆるすな!)

 
人口の半分は、子どもです。
全人口のうち、15歳以下の子供が50%を占める国、イラク。
わたしたちは、児童文学にたずさわる者として、1200万人の子どもたちのために、イラク攻撃に反対します。
 
2003年3月13日
社団法人 日本児童文学者協会

 

一般社団法人 日本児童文学者協会

〒162-0825
東京都新宿区神楽坂6-38中島ビル502
TEL 03-3268-0691 / FAX 03-3268-0692
E-mail zb@jibunkyo.or.jp