リレートーク
どんな本が好きだった?



第35回……川越 文子


 『坂道は風の通り道』(川越文子・作 安藤由紀・絵、くもん出版)




 野村一秋さんからバトンをいただいた川越です。わたしも、「わたしのデビュー作」の方を選びました。

 デビュー作『坂道は風の通り道』は、1991年にくもん出版から出版されました。
 主人公は、6年生の元気な女の子、オカズこと一子(かずこ)です。同じクラスのゴンボ、ガンモの3人で、おそうざいトリオと呼ばれ、「そんな呼び名迷惑だ」とわめきながらも仲よく6年生の春を送っていたオカズの教室へ、一美という名の転校生がきました。おじょうさん育ちでとびっきり美人の一美と、オカズはまるっきり違うタイプのはずなのに、髪をきって同じヘアスタイルになってみるとうりふたつ。次々にあらわれる疑惑を勇気をもって問いただしてみたら・・・。実は、ふたりは姉妹だったという双子の物語です。
 双子の物語を書こうと思ったのは、子どものとき読んだコミックの影響です。“境遇の全く異なる女の子ふたりが同じ牧場で暮らすようになる。ひとりは牧場主の娘として、もうひとりは両親を亡くしこの家にひきとられた子として。” そんな物語でした。さびしさに負けず健気に生きる主人公が大好きでした。主な登場人物たちが決まったので、あとは物語の舞台ですが、このことで迷うことはありませんでした。自分がそれまで育ち、そして当時(現在も)住んでいた地元を選びました。特に、物語のラストで、もらわれてきた子だったと知ったオカズが、母さんから渡された育児記録と母子手帳をかかえて、桃の花咲く丘をのぼっている場面を書いたときなど、「わたしはなんてステキなところに住んでいるのだろう」と、ひとりでニタニタしていました。その部分、少しだけ書きます。
 菜の花のあいだをとおって、白い梨の花の下もくぐりぬけて、桃山とよばれている山をのぼった。/ 目の下の玉島の平野を、銀色の新幹線がはしりぬけていく。 / そのむこうには、むかし良寛さまがいたという円通寺の小山をおおうようにして、春の瀬戸内海が光っている。/ (母さんに、こんなにもかわいがられていた。)/ それだけで、いいーー。
 この本は、出て5年後の1996年春に、「第10回記念倉敷音楽祭」で、倉敷市主催のミュージカルになりました。オーディションで選ばれた皆さんが約1年間みっちり練習して、2会場で、演じてくださいました。そのとき、「作品がミュージカルになるのはどんな気持ちですか」と何度か聞かれましたが、答はいつも同じです。「全く別のものだと思います。ステージはステージとしていいものになることを願っています。」ほんとうにそう思っていました。なのに、やっぱり、オカズたちが心配なのですね。本番のとき、わたしは正面の好きな席から観ていればいい立場だったのに、結局最初から最後まで、舞台の袖から観ていました。まるで我が子を心配する母親のような心境で。
 ところでわたしは、詩人・永瀬清子さんがお元気だったとき、その詩誌『黄薔薇』で詩も書いていました。永瀬先生が亡くなられてからも書きつづけていたので、3年前『うつくしい部屋』(思潮社)という詩集をもちました。これはたてつづけに生まれた孫たちとの出会いが嬉しくて、そのことを書いた詩集だと本人は思っていたのですが、読んでくれた知人が読後の感想として、もう40年もまえに亡くなっているわたしの母親が一番喜んでいるだろう(草葉の陰で)と思った、と便りをくれたのです。
 デビュー作には、その書き手のテーマが出るとよく言われます。
『坂道は風の通り道』のラストの場面は、お母さんとの絆を思う主人公だったのですが、詩という文学で、しかも本人が自覚しないところでもそれが表れているとすれば、わたしの場合も、まったくそのことばがあてはまるようです。
 さいごに、ひとつ。
 この『坂道は風の通り道』はこの秋、今回はわたしの作詞で女性合唱組曲になりました。12月に、倉敷のコーラスクラブが15周年記念演奏会で歌ってくださいます。全7曲の最初の曲の出だしです。
      わたしは 生きる
      瀬戸内の この空のしたで
       ・ ・・

 大事な、デビュー作です。



        


−プロフィール−
川越文子(かわごえ ふみこ)
1948年、岡山県に生まれる。倉敷市在住。
上記の他に、童話『モモタとおとぼけゴンベエ』(国土社)
『かこちゃん』『お母さんの変身宣言』『ジュウベエとあたし犯人を追う』『ジュウベエと幽霊とおばあちゃん』(以上、文研出版)。詩集『生まれる』(編集工房ノア)『ぼくの一歩ふしぎだね』『もうすぐだからね』(銀の鈴社)など。




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