子どもと平和の委員会

2022・23年度、子どもと平和の委員会(はらまさかず)

2022・23年度の子どもと平和の委員が決まりました。
メンバーは、
池宮城けいさん
小手鞠るいさん
指田和さん
西山利佳さん
吉澤みかさん
林宜和さん
そして、私、はらまさかずが委員長を務めることこととなりました。
どうぞよろしくお願いいたします。

さて、本日8月31日、ハックルベリーブックスの奥山恵さんが主催された
「子どもの権利条約」ブックトークに参加しました。
萌文社の青木沙織さんの、貴重なお話をきくことができました。
子どもと平和の委員会でも、子どもの権利について考えていきたいです。

 

2022/08/31

「民主主義をあきらめない」 (西山利佳)

本日28日、日本児童文学者協会の定時総会でした。

オンライン部分の裏方のひとりとして、大過なく終了してホッとしています。

次良丸事務局長始め、スタッフのみなさま、お疲れさまでした。

そして、昨日の学習交流会の内田良先生のお話ではありませんが、リアル参加者のみなさまは,会前後の「インフォーマルなコミュニケーション」を久しぶりに楽しまれたのではないでしょうか。

さて、総会の最後のフリーアピールのところで〈子どもの本・九条の会〉の学習会の宣伝をさせていただきました。協会でも抗議声明を出しましたが、日本学術会議のメンバーとして任命を拒否されたお一人の宇野重規先生(この紹介もなんだかなですが)に「民主主義をあきらめない ~選挙に行く前に」と題してお話しいただきます。質疑応答の時間もあります。

6月5日(日)午後2時より、Zoomによる開催です。お申し込みはコチラ↓

https://kodomonohon9-2022-1.peatix.com/

第2部で、本会新人賞を受賞された原正和さんと西山も少々登場いたします。

「民主主義的な児童文学を創造し普及する」ことを掲げている日本児童文学者協会の会員のみなさま、

子どもによりよい未来を手渡したいと思っているみなさま、

守りたいものの本質をつかみ直す機会になることと思っています。

ご参加、拡散のご協力をどうぞよろしくお願いします。

2022/05/28

ロシアのウクライナ侵攻に関する報道を遮断して、思っていること (小手鞠るい)

 

委員会の西山さんから、アメリカの仕事部屋に届いた「声を上げることが大切」という声。これは本当に大切な声だと思う。人には、声を上げなくてはならない時がある。しかし今の私には上げる声がない。これが正直な私の声である。

 

それというのも、コロナ報道、ロシアのウクライナ侵攻に関する報道をはじめとする、いっさいのマスコミ報道を、私は現在、遮断しているからである。要するに、ニュースの断捨離。実はこういうことを、私は日頃からよくやっている。

 

理由はただひとつ。うるさいからだ。聞くに耐えない、見るに耐えない、煩わしい。コロナ、コロナ、感染拡大、感染拡大、と、拡声器でのべつまくなしに騒音を垂れ流されたあと、今度は、ロシアとウクライナである。もういい加減にしてくれ、と言いたくなる。もちろんそれは、ロシア対してもそう言いたいわけだけれど。

 

レイ・ブラッドベリだったと記憶しているが(正確ではありません)、彼は「僕は3年前の新聞を読む。それくらいがちょうどいい」と、小説かエッセイに書いていた。言い得て妙である。これから3年後に、コロナ報道、戦争報道を読んでみればいい。報道がいかに杜撰で、いかに不正確で、いかに偏っていて、いかにヒステリックであったかがよくわかるのではないだろうか。

 

ゆっくりと、静かに、物を考えたい。時には、報道や情報のBGMをシャットアウトして。だれもがそう思っているのではないだろうか。それをできなくしているのはインターネットであり、SNSなのだろう。

 

戦争は現在、ロシアとウクライナだけで起こっているわけではない。民族紛争、中国のウィグル族への弾圧など、マスコミが大きく取り上げない戦争もたくさんある。また、こうした戦争のおかげで儲かっている人や、武器を作ることで生計を立て、家族を養っている人たちもいる。戦争をなくすためには、軍隊や武器産業をなくさなくてはならない。それはほとんど不可能なことなのだ。私たちはまず、そのことを認識しなければならないだろう。原発と同じかもしれない。原発に反対している人たちもまた、日々、原発によって作られた電気を使って生活をしている。

 

日本では、8月になったら、判で押したようにみんなが戦争について語り始め、書店には戦争をテーマにした本が並ぶ。これはおかしい。戦争は一年中、語られなくてはならない。戦争は世界中で起こっている。太古の昔から、戦争を止(と)められない、戦争を止(や)められない人類って、どういう生き物なんだろう。というようなことを、私は静かに考えたい。そして、子どもたちに語っていきたい。日本は平和ではないのだ、と。地球は平和ではないのだ、と。そのことを、決して悲観的ではない形で語っていくために、私は戦争報道を遮断している。(2022年4月24日)

2022/04/25

「ウクライナ情勢」が連日報道される日々に思うこと(西山利佳)

「なんなん?これ、いつの時代だよ、と思っている間に事態が進行しています。」と書いてから一月半が経ち、伝わってくるだけでもひどい状況です。「戦況」や「戦術」が地図と共に解説される様子に、何と言えば良いのでしょう、「他人事」というか、人間の存在を感じない「解説」に違和感(嫌悪感)を覚えたり……。

 

 この間、感じていること、考えたことを書いておきます。

 

 まず、2月末にウクライナで発令された「国民総動員令」。18歳から60歳の男性のウクライナからの出国を禁止するというこれに、ああ、戦前の日本だけでなく、戦争が始まるとこういうことが進むのだ、と恐怖を感じました。市民の軍事訓練含め、伝わってくるロシア軍の暴挙に対して抵抗するのは当然と理解しますが、「戦うより逃げたい」と考えることが許されないのだろうと思うと、「非国民」に相当する言葉もあるのだろうかと考えてしまいます。

 

 ロシア国内での言論弾圧の様子を知るにつけ、降伏してロシアの支配を受け入れた後に続くと予想される長期的な人権侵害による直接間接の「殺戮」を思えば、力を力ではねのけようとするのは当然なのでしょうけれど、兵器提供等の軍事支援にどうしても複雑な思いを抱きます。(そして、いま読み返したいと思っているのは、ドラ・ド・ヨングの『あらしの前』『あらしのあと』です。ナチスドイツの侵攻から1週間で降伏を選んだオランダの「嵐=戦争」の前と後の物語です。)

 

 日本がアジア・太平洋戦争時にどうであったかを、こういう風に教えてもらわなくても良かったのに、「ああ、こうなるのか」「ああ、こういうことか」と理解がリアルに更新されています。

 自作自演の「偽旗作戦」と聞くと、ああ、関東軍が自分で満鉄の線路を爆破しておいて、中国軍の仕業だとして満州での軍事展開の口実としたあれかと思い、

 ロシア語の案内版が不快だと言われて外したり、戻したりのドタバタを聞けば、英語を「敵性語」として排除したナンセンスな戦中日本は今もひょいと復活するのだなと思い、

 化学兵器の使用については、日本軍が毒ガス兵器を作り中国で使用したことを思い出し……。(今関信子さんの『大久野島からのバトン』、未読の方はぜひ!)

 

 日本軍のことだけではありません。核兵器開発疑惑で攻撃とかって、米軍によるイラク攻撃ではありませんか。

 

 そして、繰り返し思うのは「国」って何? ロシア国内で、ものすごく困難な状況の中反戦を訴える人々、声を上げられなくても戦争反対と考えている人にも降りかかる、国に対する制裁。(これまで世界のあちこちで「圧政」から解放するという名目で行われる「空爆」に、いつもなんと皮肉な残酷な仕打ちかと思っていました。)経済制裁に反対というわけではありませんが、こういう複雑な思いをぬぐい去れないのです。

 

 長期的に目指すべきところを見失わず、正気を保ちたいと思います。そこから逆算して、子どもの本の守るべき核をきちんとつかんでおきたい。人間が、所属や属性と関係無しに、ひとりひとりとして尊ばれ、幸せに生きていける世界を目指したい。そのために、ひとりひとりの人間の側に立つ「文学」の力を私は信じたいと思います。

(2022年4月17日)

2022/04/18

ウクライナ侵攻を聞いてとりとめもなく考えたこと(濱野京子)

ロシアによるウクライナ侵攻の報道を見聞きしながら、2003年のことを思い起こしていました。アメリカがイラク攻撃を開始した3月20日よりも前に、世界各地で攻撃反対のデモが起こったあの年は、幾度となく集会に足を運び、公道をねり歩いたものでした。

あの頃と今と何が変わったか……明らかな違いとしてまず私が思い浮かべるのは、当時はSNSが現在のように普及していなかったこと、そして、今回の攻撃がコロナパンデミック下の出来事であることでしょうか。

此度の攻撃に関しても、情報入手の手段として、ツイッターが大きな役割をしています。そうした「新しさ」が担うことには良い面もあるのでしょうが、だれもが発信できるツイッター空間にはフェイクも多く飛び交い、また、反戦を唱えることへの冷笑や揚げ足取り、はては暴力的な言辞を目にすることも少なくありません。他者の傷みに鈍感だったり分断を加速させるだけの言説にげんなりしてしまうのも確かです。

 パンデミック下での戦争というと、戦争が感染を広めたとされる第一次世界大戦とスペイン風邪を連想します。スペインが発祥ではないのに、スペイン風邪と呼ばれるようになったのは、中立国であっために感染を秘匿しなかったためだそうですが、それはさておき、新型のウイルスは環境問題との指摘もあります。COVID-19を、直ちに気候変動に結びつけるには無理がありましょう。しかしながら、目下世界が抱える気候危機は待ったなし。本当に戦争なんかしている場合ではありません。自国の優位性などを気にしている状況にもないはずです。けれどもそれも、現在進行形の出来事に鑑みれば、建前の言葉でしかないのかもしれません。なぜならば、この瞬間にも、命からがら逃げなければいけない人がいます。理不尽な攻撃で命を落とす人もいます。また、心ならずも他者の命を奪ってしまう人もいます。それが、私たちが目下直面していることなのです。

 ロシアは日本にとって隣国です。私はいわゆる自由主義陣営の「正義」を諸手を挙げて支持はしませんが、権威主義国家として力をつけてきたもう一つの隣国である中国の今後も気がかりではあります。

 今、言うべきことは「即時停戦を求める」に尽きるわけですが、ではそのために何が有効なのか。経済制裁はどこまで効果があるのか(国際政治で使われる制裁という言葉には違和感を抱いています。「制裁」という言葉が向けられない国とそうでない国があるのはなぜ?)、私にはわかりません。

人はなぜ争うのか。最終的にはだれにも利のない戦争などやめて、なぜ、平和に心安らかに生きられないのか。争うのが人の本質というとらえ方は悲しいしつらいのだけれど、どこかでそうなのかもしれないと思ってしまうほどに、人類は争いを繰り返してきました。そのことにこそ、絶望的になります。またしても、環境のことが頭をもたげます。人類はどれほどエゴイスティックな振る舞いを繰り返してきたのでしょうか。他の生き物のためには人間が存在しない方がいい、というのが正しい判断なのでは、との念を禁じ得ません。とはいえ、人として生きていく以上、人間の命を守ることを柱に据えて生きていかざるを得ないとも思います。

こうして、結局は、人権という理念に立ち返ることになります。言うまでもなく、戦争は最大の人権侵害です。迂遠なようでも、お花畑と揶揄されようとも、そこに向けて、歩いていくしかないのです。闘いという言葉は好きではありませんが、自分自身の虚無と闘い続けること、言挙げする手段がある以上、言葉を発し続けること。そんなことをつらつら思う日々です。

  •     *     *

昨秋、児文協の公開研究会で、講演をしてくださったフォト・ジャーナリストの安田菜津紀さんが、2月26日にこんなツイートをしています。

・・・・・

ロシア軍がシリアで無差別な空爆を繰り返し、凄惨な事態を引き起こしているときに、どれほど世界は関心を払ってきたのか、とシリアから逃れた人から声が届く。

「自分たちを本当に苦しめてきたのは、世界から無視されていることなんです」と切実に語ってくれた方の顔が思い出される。そのこともまた、考えておかねばならないことです。私たちは何に反応し、何を見ようとしてこなかったか。

・・・・・

報道のされ方にも深く関わることですが、それ以前に、私たちはどこかで事柄の軽重を手前勝手に判断し選別していないか、頭の片隅においておきたい視点です。(2022.3.2)

2022/03/03

 今、戦争を読む、平和を考える (指田 和)

今、ヒロシマの原爆被害のことを、改めて調べたり書いたりしています。

 

この2月半ば、近くの図書館の児童書ルームの棚でふと目に留まったのは、『ヒロシマのうた ー新選・子どもの文学21 戦争と平和のものがたり2』日本児童文学者協会・編/小峰書店(1990年6月 第五版)でした。思わず手に取りました。

「ヒロシマのうた」今西祐行/「おかあさんの木」大川悦生/「月のおんば」菊池 正/「かあさんのうた」大野允子/「救命艇の少年」石川光男

そう長くない文字数の中に、先達たちが、力、心、そして祈りをこめて、時に拳を握るように、戦争のむごさやかなしさ、どう考えても理解できないおかしさを記していました。それは、平和への切なる願いを込めての精一杯の体現でした。

 

そんな余韻も冷めやらぬ2月24日。そしてその後の日々。

 

灰色の道を続々と侵攻する、いかつい戦車の列。

一般市民の住宅に着弾するミサイル、そして爆発。

地下鉄の駅構内で子どもの肩を抱きかかえる大人たち。

防空壕で「死にたくない」と涙する女の子。

こんな暴挙があって良いわけがない。

その暴挙に反対の声をあげる自国の人々を力で封じ、侵攻の先に核の使用さえちらつかせる、あまりにも凶暴な国の指導者の姿。

 

こんなことは絶対にあってはならないし、許してはいけないと思います。

ならば今、わたしに何ができるのか。

戦車の前に立ちはだかって、その進行を阻もうとしたウクライナの人のようなことはできないけれど、せめて声を上げなければ、書かなければと思います。

 

ロシアのウクライナ侵攻に反対

核による威嚇に反対

どんなことがあっても、戦争反対

 

過去の歴史から学んだ辛酸や平和への思いが描かれた様々な作品を、わたしたちは今こそ読み直す時だと思います。

(20220228)

2022/02/28

ウクライナに平和を ( くぼひでき)

2月24日夜に、わたしはこうツイートしました。
 
人間は進化しない。太古から戦争を繰り返し、侵略、強奪、凌辱、殺戮をしてきた。勝てば正義と自制できない。
人間は進化してきた。太古から反戦を唱える人はいた。その数は歴史を反省する中で増えているはずだ。人類は愚かではないと私は信じる。
#反戦を訴えます
#ロシアはウクライナ侵攻を止めよ
 
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人間の歴史は数千年を遡ることができます。その時どきで戦があって、名もなき民が巻きこまれてきました。個人と個人の諍いを皮切りに、集落と集落の争いになり、時には部族間やがては国家間と、その規模が大きくなりました。財産や土地などの経済をめぐる戦い、自己中心的な繁栄を求めての争い、憎しみは連鎖して、間断なくこの歴史の中で起こってきました。
 
20世紀にわたしたちの世界は大きな転換期を迎えました。国家間による争いが本当の意味で地球規模となり、科学力の進展とともに大量殺戮兵器を生み出したのです。その後も大国同士の競り合いは続き、武器開発は凶悪化の一途をたどるばかり。
 
それでも、人々は進歩してきたと考えてきました。21世紀になって、もう、少なくとも大国による侵略戦争など起きないだろうと高を括っていました。
しかし違った。
覇権主義はいまだ顕在で、恐れていた侵略が始まった。かつて、第一次世界大戦はサラエボにおける暗殺事件をきっかけとしました。第二次世界大戦はドイツとソ連によるポーランド侵攻がきっかけでした。
 
わたしたちはこのウクライナ侵攻を第三次世界大戦の端緒とさせてはならない。
そのためには国境をこえて、平和を求める人々の声をあげなくてはならない。
ひとつのきっかけが、世界を不穏な影で覆わないようになさねばらない。
 
日本からできることは小さいかもしれない。届かないかもと不安になる。
しかし声をあげること、反戦を訴えることはできます。
 
「ロシアはウクライナ侵攻を止めよ」
「すべての国家は他国侵略の意図を解除せよ」
 
ウクライナに平和を。(20220228)
2022/02/28

ロシアのウクライナ侵攻について、アメリカで思ったこと (小手鞠るい)

いちばんに思ったことは「アメリカに、介入して欲しくない」ということだった。戦争が嫌いだったトランプにもいいところはあったな、とも思った。これは、私がかれこれ30年以上もアメリカで暮らしてきたことと大いに関係している。もしも日本で暮らしていたら「アメリカに介入してもらって、戦争をやめさせて欲しい」と思ったかもしれない。

 

なぜ、アメリカに介入して欲しくないのか。この理由も、日本在住の人たちにはちょっと理解し難いかもしれない。ストレートに書くと、私は、アメリカの若者たちに、戦場で死んで欲しくないと願っている。ここで言う「若者たち」とは、アメリカの軍人たちである。アメリカの兵士たちは、アメリカから遠く離れた場所で、命を落としてきた。ヴェトナム、イラク、アフガニスタン・・・そしてこれから、ウクライナで死ぬことになるのかと思うと、私は居ても立ってもいられなくなる。

 

なぜなら、私には、アメリカの若い兵士たちの顔がひとり、ひとり、見えているからだ。かつての日本で、特攻隊の兵士の顔が見えていたように。アメリカの軍人は、常に私たちの身近にいる。姿形がはっきりと見えている。笑顔も見えている。礼儀正しい態度も、優しい性格も、凛々しい性格も、人それぞれに魅力的だ。そのような若者たちに、私は無駄死にして欲しくない。切にそう願っている。

 

兵士の顔が見えているかどうか。これは、戦争に対して、どう反対していくかに関する大きな鍵ではないだろうか。今の日本人には、自衛隊の人たちの顔は見えているのだろうか。アメリカが参戦したら、自衛隊の兵士も戦争に行かなくてはならなくなる。自衛隊の戦死者が出たときに、日本は初めて「集団的自衛権」の重さに気づくのだろうか。

 

すべて、無知な素人の考えていることである。しかし私は、ロシアのウクライナ侵攻に際して、ロシアから駆り出されている若者たちの「顔」を想像してしまう。「ロシア」ではなくて、ロシアの権力者に対して、抗議をしなくてはならないのだと思う。一般市民同様、兵士もまた、死なせてはならない子どもたち(←比喩としての言葉です)なのである。(20220227)

2022/02/28

ロシアのウクライナ侵攻に反対します(西山利佳)

ご無沙汰してしまいました。

 

なんなん?これ、いつの時代だよ、と思っている間に事態が進行しています。

26日、渋谷にいたけれどデモには参加できなかった私です。

 

そのデモを教えてくれたのが学生で、彼女は憤慨しながら授業で読んだ『灰色の地平線のかなたに』(ルータ・セペティス作、野沢佳織訳、岩波書店)を読み返していると言っていました。

 

今日は近所のお寺を会場に、おとな4人と小学6年生2人で『ある晴れた夏の朝』(小手鞠るい、偕成社)を読み合いました。原子力防災などの学習会を重ねているおとなたちとその子どもさんですが、テキストを選んでくれたのは6年生。アメリカのティーンエイジャー、それも様々なルーツを持つ人たちが原爆投下の是非を議論するというのが面白いんじゃないかと選んでくれたそうです。

 

それぞれの日常生活の中で出会う差別発言、違う意見の人と議論することが苦手な自分、現在進行中の「戦争」……と、初めての試みの読書会でしたが、いろいろ考える事ができる時間となりました。

 

「〇〇人」で括らないのが、文学の力の一つだと思います。

とてもとても間接的なのですが、私にとっての反戦の足場はここかなと思います。

 

さて、

3月19日(土)に日本ペンクラブ「子どもの本」委員会主催で「11年目の「3.11」」というイベントを開催します。詳細はこちら→http://japanpen.or.jp/2021kb02/

原発が軍事的要所であることを見せつけられ、東京電力福島第一原子力発電所事故の被害者のみなさんはどんな思いでいらっしゃることでしょう。

これもまた、間接的な営みですが、いま自分にできる平和構築の運動として頑張らねばと思っています。

 

ロシア国内を含め、各地で抗議の声を上げている全ての人に敬意と感謝と連帯の思いを込めて。(20220227)

 

2022/02/28

〈秋の公開研〉協賛プレぷち企画 安田菜津紀さんの本を介して子どもと平和について語り合おう!(Zoomミーティング開催) にご参加を!(西山利佳)

お暑うございます。

とても、間を空けてしまいました。

会員のみなさまのお手元に、Zb通信が届き次第、こちらでも呼びかけをし、それを協会の公式ツイッターで拡散していただく……。そういう風に進めたいと思っておりましたのに……。

そうこうするうち、那須正幹さんの突然の訃報です。受け止めきれません。〈子どもの本・九条の会〉の秋の広島開催イベントで、西村繁男さんと共に『絵で読む 広島の原爆』を語っていただく予定でした。そのこともあり、最近までやりとりしていたので、あまりにも突然のことで……。なんで? 那須さん! 

このままフリーズしていてはいけないと思い、えいっとばかりに今記事を書き始めた次第です。

 「子どもと平和の委員会」で「公開研」プレイベントとしてブックトークを企画しました。秋の公開研の講演者安田菜津紀さんの本を委員会メンバーが語ります。本委員会メンバーの指田和さん、濱野京子さんは、「公開研」第2部のシンポジウムの発言者でもあります。安田さんの本を紹介しつつ、気になっていること、考えあいたいことをメンバーがおしゃべりします。(ニューヨーク在住小手鞠るいさんは、書面での参加となります。原稿や、追加で考えたことなどいろいろ届いています、おたのしみに!)

【日時】8月13日(金)18時~19時半(延びても20時には終了)

 以下、取り上げる予定の本です。(言及の程度に差はあります)

『ファインダー越しの3.11』(原書房 2011)

『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社、2016)

『それでも、海へ 陸前高田に生きる』(ポプラ社、2016)

『写真で伝える仕事 ―世界の子どもたちと向き合って―』(日本写真企画、2017)

『しあわせの牛乳』(佐藤慧著、ポプラ社、2018)

『この残酷な世界でどう生きようか』(津田大介共著、幻冬舎・電子書籍、2017)

『故郷の味は海をこえて 「難民」として日本に生きる』(ポプラ社、2019)

『アレッポのキャットマン』(安田菜津紀訳絵本、あかね書房、2021)

     *

参加費無料です。参加は会員と限りませんので、子どもと平和に関心のある友人・知人の方もどうぞ積極的にお誘いください!

お申し込みは、以下のアドレスへ「子どもと平和」ブックトーク参加希望」とタイトルをつけてメールをお送りください。ミーティングURLをお送りします。

zb.kodomotoheiwa@gmail.com

公開研がますます楽しみになるような会にしたいと思います。みなさまのご参加をお待ちしております。

2021/07/24